1. Soup






―――ピーーーッ


再生治療終了のアラームが鳴る。

カプセルの中で眠っていたロックオンは目を覚ました。

カプセルの蓋を自分で開け、腕を突っ張って上半身を起こす。







4ヶ月間の長くて深い眠りから覚めて、5日が経っていた。

それまではずっと点滴だったので、衰弱した胃は飲み物しか受け付けなかった。
当然、食欲も全くない。


全身の筋肉もすっかり衰えていたが、5日間でやっと自力で上半身くらいは動かせるようになった。
しかし、下半身はさっぱりである。
一応神経は正常で、全身の感覚はあるのだが、立とうとするとフラフラと倒れてしまう。

リハビリには時間を要しそうだ。



「……情けねーな…。」

筋肉がげっそりと落ちたふくらはぎを見下ろす。

足首から太ももにかけて、重度の火傷の跡がまだ薄く残っていた。
膝から上には縫合手術の跡が縦横無尽に走っている。


「……ま、命があっただけでもめっけもん、てな。」

さんざん他人を励ますために言ってきた台詞を自分に言い聞かせる。
消極的になりがちな思考をコントロールするための呪文だ。
自分で言うのも変だが、今生きているのが不思議なくらいだ。
そうだ。そう考えなければ。




……確かに、昔と現状を比べると暗い気持ちになる。

まだ17になったばかりの愛し子に、身の回りの事柄全てを依存している状況。

身体を拭いてもらい、車椅子を押してもらい、抱きかかえられてベッドに寝かされる。(さすがに下の世話までは断った。とは言っても、トイレを車椅子用に改装するよう手配してくれたのも刹那だが。)


刹那が看病してくれるのは非常に嬉しい。

だが、何一つろくに出来ない衰弱しきった自分が歯がゆくて、情けなくてたまらない。
みっともない姿を恋人にさらさなければならない現実にストレスがたまる。


「……くそっ!…かっこわりぃ……っ」


ギリ、と歯ぎしりをする。

まだ調子の戻らない弱い握力では、こぶしを力一杯握りしめることすら出来ない……。













ふと、まろやかな香りが鼻腔をくすぐった。


「……………何の匂いだ?」


それは、どことなく懐かしい、優しい香り。

だが、何の香りだったか思い出せない。











しばらくして、刹那が寝室のドアを開けた。ふわっと流れ込んでくる香り。

「ロックオン、起きていたのか?」

「ああ。刹那、この匂いって…」

ロックオンは言いかけた口をぽかんと開けた。




刹那は水色のエプロンをかけていた。
今までエプロン姿の刹那を見たことがなかったので、確かにそれだけでも驚嘆に値する。

だが、問題はさらにそこじゃない。そのエプロンの上だ。


「……刹那、どうしたんだ?その格好……。」

刹那のエプロン、いや、髪の毛や顔にまで、様々な食材が付着していた。


「大丈夫だ。洗えば落ちる。」

刹那はエプロンを脱いで、頬に付いた小麦粉をふきんで拭う。

「ロックオン、夕食の時間だ。」








抱きかかえられて車椅子に座る。

リビングのテーブルには、いつものドリンクの入ったカップの他に、一皿のスープがあった。


「……刹那、これ、自分で作ったのか?」

「ああ。……ロックオン、一口だけでいい。ドリンク以外の食べ物も胃に入れてくれ。」

刹那は手早くロックオンの胸元に紙ナプキンをかける。

「少しずつ胃を慣らすべきだ。具は食べなくていいから、スープだけでも飲んでくれ。」

スプーンで皿から一口分のスープをすくう。


赤銅色に輝く湯気のたつ液体。
濃厚でまろやかな匂いの中に、ほのかに野菜の甘い香りが混じる。


刹那は熱々のそれをフーッ、フーッと冷ます。

とたんに、ロックオンの渇いた口の中に唾液が沸き出て、衰弱しきっていたはずの胃がグゥウ〜、と鳴った。

クスリと刹那が笑う。


「ロックオン、食べられそうか?」

「あ、ああ……。」



……おかしい。確かに今まで、あり得ないほど全く食欲が無かったのに。

今は、目の前のこのスープがたまらなくウマそうに見える。早く食べたくてしかたない……。




刹那は溢さないように慎重にスプーンをロックオンの口もとに運ぶ。

適温に冷まされたそれに、ロックオンは飛び付いた。
反動で、スープが零れてつーっとロックオンの顎をつたう。

刹那はふきんで素早くそれを拭き取った。



口の中にサラサラと流れ込む温かい液体。

味覚を支配するビーフの旨み。
そして、しっかりと炒めた野菜の甘さ。



「………ロックオン、不味かったか?」

不安げにロックオンの顔を伺う刹那。

「刹那、もう一口くれ。」

「わ、分かった。」


再び口に運ばれるスプーン。

優しい、懐かしい味。


「………刹那、これは……。」

「ああ。あんたと昔一緒に作ったアイリッシュシチュー……、のつもりだ。あの時俺はほとんど役にたてなくて…、作り方もうろ覚えだったから……。やっぱり不味かったか?」


……確かに、ローリエを入れていないのだろう、肉の臭みが抜けていない。
焦げた玉ねぎの破片も浮いている。

だが、ロックオンはとても食欲をそそられた。

「いや、すっごく美味い。……思い出して作ってくれたんだな。」

「……ああ。あんたが小さい頃よく食べていたって言っていたから…。」

「今まで食べたものの中で一番美味しいよ。刹那、スープだけじゃなくて、具も食べたい。」

「……急に固形物を胃に入れたら…」

「いいから、早く。」


刹那は飴色に輝く野菜の中からじゃがいもの小さなかけらを選びとり、ロックオンの口もとに持っていく。

パクリと噛みついたロックオンは、勢い良く咀嚼した。

「美味い!これ、スッゲー美味い!」

「ほ、本当か……?」

「ああ!刹那、シェフになれるぞ。」

「…………大げさだ、ロック。」

刹那は俯いて照れながらも、まんざらではないようだ。

「刹那、もう一口。」

「もう、そのくらいにしておかないと胃が……」

「もう一口!」

だだっ子のようにねだる。
かっこ悪いことこの上ないが、ロックオンは全く気にしなかった。
ついさっきまで、年下の刹那に手取り足取り世話をしてもらう事をストレスに感じていたなんて、うそのようだ。


結局、ロックオンは皿が空になるまで刹那の手からスープを食べた。

更におかわりも要求したが、さすがにそれは却下されてしまった。








久しぶりに胃が満たされ、急激にまぶたが重くなる。

歯磨きまで手伝おうとした刹那の申し出をやんわりと断り、車椅子用に改装された洗面所で寝仕度をする。

後ろで待機していた刹那に抱きかかえられて、ベッドに運ばれる。

毛布を首もとまでかけてくれる刹那の細い腕を引っ張りこんだ。


「刹那、一緒に寝よう。」

「待ってくれ。台所の片付けがまだ……」

「明日すればいいだろう。」

「でも、俺まだシャワー浴びてない……。」

「……確かに刹那、粉だらけだな。どうして髪の毛にまで付いてるんだ?」

「小麦粉の袋の開け方が分からなかった。それに、ルーを作ろうとしてフライパンの上で開けたから、換気扇で小麦粉が舞い上がって……。」

舞い上がった小麦粉にワタワタと慌てる姿が目に浮かぶ。

クスリと笑って、ロックオンは刹那の胸元にすり寄った。


「……なぁ、刹那。俺、もうしばらくは刹那に甘えていてもいいかな…?」

「……ああ。構わないが…、急にどうした?」

「俺のすごくかっこ悪いところ、いっぱい見せると思う。それでも、嫌いにならないでくれるか?」

刹那の大きな目がロックオンを射抜く。

「俺があんたを嫌いになるなんて、本気で思っているのか?」

「…………………思わないよ。刹那は俺のこと、大好きだって信じてる。」

「当たり前だ。」

細い腕をいっぱいに伸ばしてロックオンの痩せた身体を抱きしめる。

「ずっと一緒だ。もう、あんたを独りにはさせない。」

「ありがとう、刹那。」

まだ小さい、だが頼もしい胸板。


「明日、あんたの身体拭かなきゃな。」

「そうだな。……頼んだよ、刹那。」

「シーツも洗うからな。」

「ああ。ごめんな、一緒に寝たいなんてわがまま言って。」

「構わない。早く寝ろ。」


刹那の粉っぽい身体からは、あのスープの匂いがした。







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