グル・ダット


グル・ダット

グル・ダット(Guru Dutt 本名:ヴァサント・クマール・シヴァシャンカル・パードゥコーネ 1925年7月9日生)
 [インド・俳優/映画監督]


 イギリス領インド帝国の支配下に置かれたマイソール藩王国バンガロール生まれ。その後、父親の仕事の都合で当時英領植民地の首都であったカルカッタに一家で移り住む。ラヴィ・シャンカルの弟、ウダイ・シャンカルの舞踊学校で2年間舞踏を学ぶ。1944年、伯父の紹介でマハーラーシュトラ州プネーのプラバート・フィルム・カンパニーに入社、1946年に映画のコレオグラファーとしてデビュー。俳優や助監督として映画界でのキャリアを積み、1951年に初監督作『賭け』でデビュー。1953年、人気映画ソング歌手ギーター・ラーイと結婚した。

 グル・ダットは、インド映画、とくにヒンディー語娯楽映画界ボリウッドの黄金時代を語る際には欠かすことの出来ない人物である。ダットは、『渇き』、『紙の花』、『旦那様と奥様と召使い』、『十四夜の月』といった不朽の名作を1950〜1960年代に数多く生み出した。とくに、『渇き』と『紙の花』の両作品は、永遠の名作との呼び声も高く、『タイム』誌の「永遠の名作100選」や『サイト&サウンド』誌での映画監督・批評家選などに選出されている。また後者の誌上においては、ダット監督自身も「永遠の偉大な映画監督」として選ばれている。まさに「インドのオーソン・ウェルズ」とも評される映画監督である。1950年代には、大衆娯楽市場向けに制作されたにもかかわらず、すばらしい叙情性を持った芸術的作品をヒンディー語映画業界において数多く送り出したことで知られており、そのような娯楽映画と芸術映画の要素を融合させた作風を1957年の代表作『渇き』以降発展させていった。彼の作品のリバイバル上映の折にはホールが満員になることも多く、とくにドイツ、フランス、日本では人気が高い。日本では1980年代に映画批評家の蓮實重彦がダグラス・サークや成瀬巳喜男と比して賞賛している。

 グル・ダットは晩年、自殺未遂を繰り返していたと言われている。そして1964年10月10日、マハーラーシュトラ州ムンバイの自宅にて、酒と睡眠薬を大量服用して命を絶った。妻がありながら、代表作『渇き』で主演させた女優のワヒーダー・ラフマーンに魅かれてしまったのが原因と言われているが、真相は不明である。

 1964年10月10日死去(享年39)


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