田宮虎彦


田宮虎彦

田宮虎彦(たみやとらひこ 1911年8月5日生)
 [小説家]


  東京生まれ、神戸市に育つ。船員である父親の都合で転居を繰り返し、兵庫県立第一神戸中学校から第三高等学校を卒業。三高では彼の入学年度から保証教授制度により生徒の管理が厳しくなったが「別に不自由な制度とは思わず、実に自由に遊び呆けて、三高生活に突入していった」と自ら明るい学生生活を振り返っている。東京帝国大学文学部国文学科在学中から、同人誌『日暦』に参加し、小説「無花果」などを発表した。1936年、『人民文庫』創刊とともに参加するが、治安維持法により度重なる発禁処分を受けた人民文庫は廃刊。「沈没しようとしていた船からいち早く脱出した鼠」と古澤元は自主解散派だった田宮を評した。その後、女学校教師などをしながら小説修業を続ける。1947年に『世界文化』に発表した「霧の中」で注目され、小説家生活に入る。精力的に作品を発表し、1951年『絵本』で毎日出版文化賞を受ける。

 1956年11月、妻を胃癌で喪って悲嘆に暮れる。1957年、亡妻との往復書簡が『愛のかたみ』の題名で光文社から刊行されベストセラーとなり多くの日本人が感動した。しかし、『群像』1957年10月号で平野謙が「誰かが言わねばならぬ──『愛のかたみ』批判」で夫婦観や文学観を「変態的」と評論し、一部マスコミは多額の印税で女と遊んでいると中傷した。

 1988年1月に脳梗塞で倒れ日産玉川病院にて療養、右半身不随になり、同年4月9日午前9時15分頃、同居人である旧友の子息の不在中に東京都港区北青山2丁目のマンション11階ベランダから投身自殺する。脳梗塞が再発し手がしびれて思い通りに執筆できなくなったため命を絶つとの遺書が残されていた。墓所は多磨霊園にある。

 1988年4月9日死去(享年76)


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