リチャード・クワイン


リチャード・クワイン

リチャード・クワイン(Richard Quine 1920年11月12日生)
 [アメリカ・映画監督/俳優]


 ミシガン州デトロイト生まれ。1933年、12歳のときに、マーヴィン・ルロイ監督の映画『世界は還る』に子役として出演、これがスクリーンデビューとなった。1935年までにユニバーサル映画やモノグラム・ピクチャーズの少年向け映画等に、10本近く出演した。1939年、青年となったクワインは、ジェローム・カーンとオスカー・ハマースタインのミュージカル『五月にしては暑すぎる』の初演に出演、ブロードウェイでのデビューを果たす。1940年には、ジョゼフ・フィールズとジェローム・チョドロフの舞台演劇『マイ・シスター・アイリーン』の初演に役を得る。それとともに、バスビー・バークレイ監督等のミュージカル映画でスクリーンにも復帰した。

 1943年、前年にS・シルヴァン・サイモン監督の『ティッシュ』で共演した1歳下の女優スーザン・ピータースと結婚した。第二次世界大戦中は、アメリカ沿岸警備隊に従軍した。1945年1月1日、狩猟中の事故でスーザンが負傷し、1946年、ティモシー・リチャード・クワインを養子にしたが、1948年9月に離婚した。同年、ウィリアム・アッシャーと共同監督作をプロデュースし、演出に意欲を抱く。1950年の出演作を最後に俳優を廃業し、監督に専念する。ミュージカル映画、コメディ映画を多く手がけた。1952年10月23日、別れた妻スーザンが死去している。

 1955年、35歳になり、かつて自らが舞台でも映画でも出演した『マイ・シスター・アイリーン』を監督する。同作はフランスでも公開され、当時映画批評家であり、短篇映画を撮っていたジャン=リュック・ゴダールが『カイエ・デュ・シネマ』誌上に発表した1956年のベストテンで、同作を10位に推した。カーク・ダグラスとキム・ノヴァクが主演した『逢う時はいつも他人』を発表した翌年の1961年、全米製作者組合ローレル賞最高監督賞にノミネートされたが賞は逃した。同作品に主演したノヴァクとは婚約関係になるが、後に解消。1965年、歌手のフラン・ジェフリーズと再婚した。

 50歳代を迎える1970年代には、ピーター・フォーク主演の『刑事コロンボ』等のテレビ映画を手がける。1979年、ピーター・セラーズ主演のコメディ『ゼンダ城の虜』が、監督としてクレジットされた最後の映画作品となる。1989年6月10日、カリフォルニア州ロサンゼルスで拳銃自殺により死去した。体調不良に加えうつ病を患っていたという。

 1989年6月10日死去(享年68)


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